【Kauai島】 Waimea Town  (ワイメアタウン)


カウアイ島西側最大の町

リフエ方面からハイウエイを西に向かうと、ハナペペを過ぎたあたりから、 道路が赤土になっていき、ワイメア橋を渡ってワイメアの町 。ノスタルジックな雰囲気のレトロな町並。 町のほぼ中心には、西洋人で初めてハワイを訪れた「キャプテン・クックの銅像」が海側を向いて立っています。


≪キャプテンクックの銅像≫

西洋人で初めてハワイを訪れた「キャプテン・クックの銅像」が海側を向いて立っています。
1778年1月20日 キャプテン・ジェームス・クック率いるイギリス船「レボリューション号」と「ディスカバリー号」がワイメアに上陸

ヨーロッパ人として初めてハワイを発見したイギリス海軍士官ジェームス クック(キャプテン クック)は1778年にカウアイ島に上陸しました。この時はアメリカ西海岸やアラスカ探索のために、すぐにハワイを発ちそれから一年後に再びハワイ諸島へ戻り、今度はハワイ島のケアラケクア湾に上陸しました。ハワイの農耕の神様「ロノ神」は収穫祭の時に海からやってくるという言い伝えがあり、丁度この時期にマカヒキ祭(収穫祭)を行っていた先住民達は、ジェームスクックを神様と間違え当時のハワイ島の王であったカラニオプウ(カメハメハ1世の叔父)に歓迎されました。しかし、1ヶ月程の滞在の後ハワイ島を発ったクックは、嵐に遭いメインマストが折れてしまい修復のためハワイ島に引き返しましたが・・・。収穫祭が終わっているうえに、先住民にとってマストの帆はロノ神としてイメージさせる象徴的なものでしたので、キャプテンクックに対し先住民達は疑念に思います。数日後、1779年2月14日先住民が起こした盗難事件を発端にして、武器による争いになるまでに発展しキャプテンクックは殺されてしまいます。クックの死から約100年後の1874年。亡くなったケアラケクア湾、その死を悼んでイギリス人によってキャプテン・クック記念碑が建てられました。


*「Naneaホームページ」より ハワイ島 ケアラケクア湾「キャプテンクック記念碑」☟

ハワイ島コナ発 ケアラケクア湾行き ディナークルーズ


キャプテンクック像の前には、カウアイ島で有名な「ISHIHARA MARKET」


≪ワイメアタウン≫


≪ワイメアタウン≫にてランチ   SHRIMP STATION エビ尽くし・・・